独り言

 ああ、今年も鮎釣りは終わってしまった。もっと沢山釣りたかった。もっと大きいのを釣りたかった〜。来年がまたあるサ。

 鮎釣りをしていると、色々と珍プレーを冒してしまう。好プレーは少ないのに。特に初心者の内はハプニングの連続であった。竿は何本も折るし、引き舟の蓋を開けっ放しにして、せっかく釣った鮎を全部逃がしたり(そんな時に限って沢山釣ってた)、引き舟もろとも流したことも2回ある。そう言えばタモも流したなあ。偏光グラスも流した。一式流した事になる。流してないのは体だけである。これが流されてはおしまいであるが・・・。

 河原では、滑るのでよくスッテンコロリンと転ぶ。前向きに転ぶことも度々だ。転ぶ時に竿を放せば良いのにしっかり持ってて、竿がポキッである。せっかく自然を満喫していい気持ちになってたのに、竿の修理代の高くつく悲しい現実に戻ってしまう。

 だいたい、鮎釣りはやることが多すぎる。あんなに長い竿を担いで、生きの良い囮を水中で弱らせないように鼻カンを通し、逆バリを打って、「行って来いよ」とそっと手を放てば、掛けバリが指に刺さり、「イテテテ・・・」。この時ばかりは囮操作の原則通り、後ろに引けば囮は前に進む。とっても元気よく引っ張るもんだから、余計外れない。4本バリの方が掛かりがよくて中々外れないと、この時実感する。それにしても痛い。

 竿を構えれば、一日中頭の中は「釣りたい、釣れンかなあ〜、はよ釣りたい。」でいっぱい。まあこれは他の釣りでも同じであるが、相当熱くなっている。ただ竿先まで気持ちは行ってても、針先まで気持ちが行ってないことが多いね。

 鮎釣りは 1、場所である。そこで腕の大したことのない、マッキーは人の釣っていない場所にも探し入る。人の入っていない所にはクモの巣だらけである。しかも、田舎のクモの糸は太くて丈夫だ。ひょっとして使っている水中糸より強そうに思えるくらいである。こんな所はウブな鮎が待っててくれる。

 あの日も「車、ライトOK!」「カギ、OK!」「タモ持った!」などと自己チェックして、慌てて釣り場への獣道を降りた。突然、何かが顔に引っかかった。クモの巣である。側頭部にも何か違和感がある。指で摘んで見ると、あのタイガーの様な綺麗な黄色と黒の模様の女郎蜘蛛であった。摘んでポイっと捨てた。踏みつけた。襲ってくるわけでもないのに、一応踏んだ。

 しかし、日常生活をしていて、あの女郎蜘蛛を見たら、恐ろしくて決して半径1M以内には近づかないのに、手で摘むとは、自分が信じられない。不思議と『きゃー』なんて黄色い声も出さず、落ち着いた処置をした。何がそうさせたんだろうか?きっと恐怖心を上回る何かがそうさせたのだろうが。 (2000.10.2 記)

 


 鮎つりを初めてやってから15年になりますが、この釣りは年に1,2度友人に連れて行ってもらうだけで、そんなに夢中になれませんでした。住んでいる所が海辺で、友つりが出来る川が遠かったからです。それとエサを使わない独特の釣り方だから、どうも馴染めませんでした。 

 ところが何故か4年前から急に鮎釣りの面白さに目覚め、今では年に20数回も出かけるようになってしまいました。そのうち飽きるかもしれませんが、飽きるまでは夢中です。昨年に年間200匹あるいは、1日30匹以上釣るまでは釣り場では禁酒の誓い、というか目標を立て、やっと去年その両方の目標を達成できました。釣り場で喜んで酔っ払っています。

 数字はあくまで技術上達の手段であり、数にこだわるのは偏差値教育の延長かと思うとチョット寂しいものがあります。(もっとも学生の頃、偏差値をうんぬん言われる教育を受けた程若くはないようだが)。河原で自然に溶け込み、夏の暑い都会を離れ、ビールを飲みながら、せせらぎの音をバックに、セミやカジカの鳴き声に聞き入り、植物、生き物を観察するだけでも楽しく、素晴らしい一日が過ごせます。

 寒狭川はこういったシチュエーションを提供してくれる所なので気に入っております。とはいっても釣った魚の数はやっぱり気になります。平均15匹位は釣りた〜い。

 
 本格的にやり出してから5年目の鮎釣りですが、未だに良く分かりません。いまいち、いい加減な釣り方をしています。自分でも分かっていても、釣ろうとしてついついオトリを引っ張り回してしまいます。気が短いのか、釣る気が先立ってしまいます。もっと仙人にならねば。『
おーい誰か、よう釣れる方法教えてくれー!  (1999.10.15 記)